2025年の今年は「終戦から80年」の節目の年です。
第二次世界大戦の終結は1945年(昭和20年)。
広島に原爆投下されたのが1945年8月6日、長崎は1945年8月9日、終戦(玉音放送)は1945年8月15日。
多くの尊い命が失われた戦争から80年が経ち、今では筆者のように戦争を知らない世代がほとんどです。
テレビや記事で戦争について見聞きしたことはあっても、実際の戦争について血縁者から戦争体験を聞く機会は減りつつあります。
今回は「ひ孫たちに広島の原爆の話を自分史で残したいと思います。自分の体験のみで書いても問題ないでしょうか」のご相談についてお答えします。
■自分の体験のみで自分史で問題ない?
「自分の体験のみ」で書いても問題はありません。
自分史だからこそ、「あなた自身の視点・体験」に意味があります。
自分史の目的は、歴史的な事実を網羅することではなく、「自分自身がどう生きてきたのか、何を感じてきたのかを後世に伝えること」です。
あなたが実際に体験したこと、覚えていること、感じたことだけを書けばよく、他者の体験や一般的な情報を無理に加える必要はありません。
それが、「あなたの物語」であり、誰にも書くことのできない価値のなる記録になります。
■なぜ「自分の体験だけ」でいいのか
1.一次情報の重みがある
戦争体験や被爆体験は、記録や資料よりも「その時、何を見たのか」「どう感じたのか」といった ”生の声” に価値があり、体験した人にしか語ることのできない事実や感情があります。
あの時見た光景、聞いた音、におい、感じた恐怖―ー。
それは、書き物や映像では、完全には再現できない、体験者にしか書けない ”生の声、生の記憶”です。
2.個人の記憶が家族史や地域史になる
一次情報は、例え1人分であっても、歴史的にもとても価値のある記憶、記録です。
そして、あなたの実体験は「あなたの家族の歴史」であり、「地域の歴史の一部」でもあります。
読み手となるひ孫さんたちは教科書ではなく、あなたの言葉から学び、より深く原爆を理解できます。
■正確性よりも「伝えたい気持ち」を大切に
被爆から長い年月が経ち、細かな記憶が曖昧になっている部分があっても構いません。
重要なのは、「あの日、こう感じた」「こうやって生き抜いた」「こう伝えたい」と思う気持ちが大切です。
自分史は、学術論文でなければ、報告書でもありません。あなたの「主観」「感情」であっても構いません。
その心の動きこそが、あなたが残したいと思う人の心を動かし、記憶に残すことができます。
■書くときに意識すること
以下のような点を意識することで、よく読み手にわかりやすいものになります。
- 当時の状況を簡単に説明する:例えば、1945年8月6日、私は〇歳で広島市の○○に住んでいました。
- 日常と戦時の落差を表現する:例えば、その日の朝もいつもと変わらず、朝ごはんを食べて学校に行く準備をしていました。
- 原爆投下直後の光景や音、におい、その時の感情など、五感を使った描写
- 自分や家族の避難、戦後の復興の様子、心の変化 など
- 今、あの体験を振り返って思うこと、家族やひ孫さんたちへのメッセージ
■まとめ
あなたが経験してきたことは、あなたにとっては「辛い」「悲しい」「苦しい」ことだったかと思います。
それは、私たち戦争を知らない世代にとって想像を絶することだと思っています。
しかし、その経験は、誰かにとって大切な「学び」「希望」です。
あなたが「伝えたい」と思った気持ちを大切に書く進めてください。
オリーブの冠は、あなたと大切な方の思い出を形にするお手伝いをいたします。
「自分史を綴りたい」「大切な人への贈り物として残したい」―― その想いを大切に、一冊の物語に。
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